人生の法則

三叉路でもたまに聞かれる「王様タイプ」「軍人タイプ」といったタイプ分け。
おもしろいので、本を買ってみました。amazonで。
「恋愛の取説」と「人生の法則」の2冊です。三叉路に持ってゆきます。


以前は「王様」「軍人」「職人」「学者」という分け方でしたが、いまは「注目型」「司令型」「理想型」「法則型」という分け方に変わっています。
たぶん、これは欲求で4種類に分けるから、ダイレクトに欲求をタイプ名にすることで判りやすくしたのかなとおもいます。
というのは、たとえばムードメーカーで華があるとつい王様かなとか、寡黙で勉強好きだと学者かなとか、勘違いがちだったんじゃないかと。
そのひとの性格や性質、趣味嗜好とは関係のないタイプ分けなんだよーってことを強調したかったんじゃないかと。


こういうこと考えるの学者っぽいなー。
あ、そうそう、わたしは「学者」「軍人」といった呼び方に親しんでいるので、ここではそっちの名称を使いますよ。


このタイプ分けは、まずじぶんの向性が内か外かを判断します。
他人と比べてどうとか、他人からの評価ありきだとか、そこに価値観の重きを置くのが外向性。まず価値基準が他人ありき。
ひとがどうとかじゃなくて、自分がどうおもうか、自分にとっての善し悪しに重きを置くのが内向性。


その判別が終わると、次は考え方が具体的か抽象的かを判断します。
これは、たとえば目標はなにかと訊かれたときに、いついつまでになにをするといった具体的な回答をするか、死ぬまでにはなんとなくこんなふうにしたいかなーといった抽象的な回答をするかで分かれます。


わたしは、具体的か抽象的かでいったら、100対0で抽象的なので、王様(注目型)か職人(理想型)のどちらかなんですが、この判別が難しい。


というのは、わたしは幼少期からずーっと王様タイプで、これぞTHE王様だと自他共に認めるくらい、「好かれたい」「構われたい」欲求を猛進してたんですね。


最近思い出した、王様っぽいエピソードを。
中学生のとき、母に「おまえはどんな人間になりたいんだ」と問われました。
そこでわたしは「みんなに好かれるひとになりたい」って答えたんですよね。
昔のこと全然覚えてないわたしがどうしてこれを覚えているかというと、この回答が非常に母を落胆させたからです。
うちの母親は典型的な職人。「みんなに好かれてなんになるんだ」「大事なのは自分のこころがどうあるかだ」「もし本当にみんなに好かれている人間がいるとしたら、そいつは絶対におもしろくないやつだ」と、散々な言われようでした。
まあショックでしたわ。みんなに好かれたいっていう欲求は、持ってはいけないんだなと自覚したのがそのときです。


知るひとぞ知る、わたしの母親コンプレックス。わたしは幼い頃から繰り返し、王様的な欲求をバカにされ、ないがしろにされ、叶えてもらえずにきました。
だってうちの母親にとっては、他人からどう見られているか、自分がしたことで他人がどう感じるかなんて、どうでもいいことなんだもの!
小学生のとき、テストで満点を取っても母は褒めてくれませんでした。
というかテストに興味がなくて、「今日テストがあってねぇ〜……」と満点とったことを伝えようとすると「ハァ? 学校のテストになんかなんの意味もないわよ。くだらない」と一蹴され、結果なんか聞いてすらくれない。


わたしがテストでいい点を取る理由は「褒められるため」だけだったので、あっという間に学校の勉強をしなくなりました。
それよりも母はわたしが絵や文章を書いたり、お芝居をしたり、歌ったり踊ったりすることを喜んでくれたので、次第にわたしはそういうことを積極的にするようになりました。
もともとひとに注目してもらえるのが好きだったしね。


そんなこんなで、20代までは自分の王様欲求に正直でした。
そこにいるひとみんなに好きになってほしいというわたしの欲求はとてもわかりやすく、またとても拙いものだったので、インターネットはすばらしいアイテムでした。
あっという間にホームページをつくり、小手先の文章で注目を集めました。
毎年お花見を企画して、どれだけたくさんのひとに来てもらえるかに躍起になりました。
5人組の男の子グループと仲良くなったときは、うち4人とおふとんを共にしました。
母に埋めてもらえなかったわたしの「構われたい」欲求は、20代の頃男の子たち相手に爆発します。


しかし、30代になって、こどもを産んで、結婚も2回したけどどっちもだめで、会社員になって、管理職になって、もう充分おとなになったわたしは、昔のような王様ではないのです。
構って好きになってもっと見て大事にして、という欲求を恥だと母は言いました。
ひとに委ねず、確固たる自分の価値基準を持って生きなさい、という母の教えは、やはり正しいのです。
彼女を正しいとおもうこと、彼女を肯定することは、わたしにとって絶対的なことです。
だからわたしは少しずつ、彼女と同じ理想型に傾いていきました。
それに、こどももできて、管理職を任されるようになって、いつまでも判断基準を他人にばかり求められません。
自分の中にしっかり物差しを持っていないと、困るのはこどもであり部下たちだとおもうんです。
だから、正しいとおもうことをする。絶対にこうすべきだという信念を持つ。
そう、信念です。30歳過ぎてからわたしはやたら信念信念と言いはじめました。
信念がなくちゃやってられないとか、信念がないからおまえはだめなんだと人に言ったりとか……。
信念を持って生きなければならない。信念を持ってこどもと付き合ったり、仕事をしなければならない。
理想を持たなければならない。他人の目を気にしてはならない。自分が正しいとおもうことに胸を張らなければならない。


すべて、母の受け売りです。母の教えなんです。
でも、自分はそんなこと本当はおもってない。
わたしは母に、ちゃんと褒めて欲しかっただけです。


いまだってそうです。
てんぱねや三叉路、つくってきたお店たちのこと。
自分がこうあるべきと思うものをつくり、正しいとおもう方向に店を発展させる。そのプロセス、信じるものがハマるよろこび。確かにそれもあります。理想を持ち、その実現に取り組んで、いないといえば嘘になります。わたしが店を作るのは、正しいものを作りたいから。それは間違いありません。
だけど、根源的なわたしの欲求は違います。がんばったね、大変だったね、よくできたね、と人に言って欲しい。その言葉さえもらえれば、どんなにつらくたって、もっともっとがんばれる。
しかしわたしは管理職。はっきりいって、誰も褒めてくれません。ははは。
だからいやになるんです。てんぱねのときもそうでした。がんばっても誰も褒めてくれない。だって店長だもん、店長が頑張ってるのは当たり前。
すごいですねって持てはやして欲しいわけじゃないんです。尊敬されたいんでもない。感謝されたいんでもない。


ああー久しぶりに内面掘り下げるみたいな作業をしているなー。
しかもめっちゃ長い。誰が読むんだこんな自分語り。
睡眠不足で書き始めるんじゃなかった。消すかもです。
ねむい。しごとしよう。